長砂構居
播磨鑑(宝暦12年)に 長 30間 横 19間 二ノ丸 長 32間 横 20間 加古庄 庄長砂村 村の継子の方 領主ハ生地市助 天正ノ頃別所長治ノ幕下 秀吉ニ亡サル 一本越生市右衛門ト有 とあり、播州古城記には 長砂構居 本丸 長さ 30間 横 19間 二ノ丸 長さ 22間 横 20間半 加古庄長砂村 領主は、越生市右衛門尉 別所長治の幕下也 天正年中秀吉に亡され 又生地市助之も長治の幕下天正頃也 と記録されている。